熟女の繰言

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    沖縄の歴史を偲んだ旅

    糸満市真栄里の白梅の塔です。

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    塔は、戦没した白梅隊員及び沖縄戦で戦死、或いは戦争が原因で亡くなった教職員、同窓生百四十九柱の鎮魂と、世界の恒久平和を祈念して昭和二十二年一月に建立されました。写真はその前身とも言うべきもので、実際は見上げるほどの立派なものが建立されています。(インターネット参照)
    毎年六月二十三日の「慰霊の日」に例祭が行われています。

    2012年11月17日、天皇、皇后両陛下は白梅学徒隊の生存者らと懇談されました。両陛下が白梅同窓会の会長さんたちに白い菊の花を手渡された後、皇后さまは『白梅の塔は、どちらの方角ですか』と声をかけられ、両陛下はその方向へ深く拝礼されたのでした。

    その噂の白梅の塔を、レンタカーで訪ねました。後で地図をよく見れば大きい道路からも行けたのですが、西回りで海岸近くから山道を東に向けて分け入ったため、ずいぶん遠く感じ、道に迷ったのではと心配しました。その分ようやくたどり着いたときには、やったー!という喜びに満たされました。

    城跡、首里城と辿り、沖縄の歴史を肌で感じ、琉球村で昔の衣装をまとった人たちと共に琉球の踊りを楽しみ、普天間、嘉手納、そして白梅の塔を見学しました。沖縄がずいぶん身近な存在になり、心から日本の最南端の県であり続けてほしいと思いました。

    けれども、帰ってから知ったのですが、この塔の下にあったお地蔵さん二体が、今年の四月上旬に盗まれたのですね。私たちが行った時には、にっこりと笑いかけてくれていました。見る人の心が和む柔らかで温かいほほえみでした。ある方からいただいた彫刻家、馬越正八氏作の人形とそっくりだな、と思いながらしばし見とれたのです。

    この地蔵は県外から慰霊のため寄贈されたものだそうです。もしかして同じ作者のものでは・・・いずれにせよ、平和祈念財団敷地内の雑木林から、無事救い出されてよかったです。

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    [ 2013年06月29日 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(-)

    天は自ら助くる者を助く(日本に反米運動を!!)


    いっそ日米安保条約を破棄しましょう。米軍の全面撤退を求めましょう。
    このまま屈辱のうちに食い潰されていくよりは、誇りのうちに自滅する方がましというものです

    これは極論ではないのです。実際に、日本以外のどんな国でも、独立の気概を持ち、何らかの自己主張を押し通しているのですから。

    日本人ほどプライドのない国民は世界でも珍しいということが、よくわかりました。
    日本人であることを恥じねばなりません。日本の現状を憂い、嘆かねばなりません。
    他国から蔑まれ、侮られ、搾取され、浸食され、葬り去られようとしていることに、いい加減気付き、決起せねばなりません。

    表向き植民地になったことがないことが、日本人をふぬけの甘ちゃんにしてしまったのでしょう。日本ほどに対米従属的な国は、世界中どこにもないのです。

    ドイツイタリアも韓国も、自国の領土や利益を守るための様々な画策をし、自国の法律に照らして、アメリカの権益を制限しています。
    フィリピンもイラクも米軍を撤退させました。勿論、抵抗はありました。

    フィリピンは交渉の際、あの日米関係でも大きな発言力を持つアーミテージ氏を烈火のごとく怒らせました。しかし、彼の脅しにも警告にもひるまず、肝の据わった交渉をしました。折しも火山の噴火という自然災害も加わり、結果的にアメリカは、火山灰で使えなくなった基地をあっさり放棄。残る基地も、比上院の採決の結果、基地存続反対派が勝利し、全ての米軍基地がフィリピンから撤退したのでした。

    「一度でも植民地支配を受けた国というのは、独立運動をたたかう過程で、国民共通の民族意識が育ち、建国の精神もできあがる、そこが日本と違うところでしょう」と、『日米地位協定入門』(創元社)の筆者である前泊博盛氏は、述べています。

    しかも、日米安保条約は、永続的に規定されたものではないというのです。

    10条に、「この条約が10年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する」という条項があるのです。

    つまり、日本からであれ、アメリカからであれ、相手国との条約が自国にとって不利益であると判断したなら、無効にすることが可能なのです。残念ながらこの非常に重要な「条約期限の設定」のことを、日本の政治家はほとんど知らないのだそうです。

    政権与党が腹をくくって、「一年後の延長はしません」と言えば、それで終わりなのです。

    「地位協定の枠内で考えているうちは、絶対になにも解決しないことも事実です」
    とも書かれています。こちらはアメリカの同意なしには何も出来ず、常に日本側に不利となるからです。

    まずは、「日米安保」破棄。その上で再度新しく「日米安保」を結び直し、日本に不利のない新しい「日米地位協定」を結び直す、それしかないのです。

    沖縄に米軍がいるのも、首都圏に米軍がいるのも、「戦争に負けたからしかたがない」???そんなことは、まったくありません。

    単に、日本人が、甘えすぎのろくでなしだ、というだけなのです。


    [ 2013年06月29日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    ついに全貌を現した「日米地位協定」


    必読書発見です。『日米地位協定入門』前泊博盛(編)創元社(2013/3)です。緊急に時間のとれる限り早く、日本国民全員に読んでいただきたい本です。これは、今年度、最優先で読まれるべき本です。

    「日本の主権」を否定している憲法よりも安保よりもさらに重要な「地位協定」の中身が、ようやく一般人にも明らかにされました。折角の「主権回復記念日」も、このままではシッポを巻いて逃げていくより他ありません。

    日本における、米軍の強大な権益は、未だに健在なのです。しかも、無茶苦茶なレベルで、出鱈目なやり方で、です。要するところ、アメリカ人は日本人に人権をこれっぽっちも認めてはいません。息の根を止めるところまで、とことん貶められていることを、絶対に知らねばならないし、知ったからにはそれを許してはなりません。

    編者同様、うすうす感づいてはいたことですが、日本はまだ本当の意味での終戦を迎えていなかったのです。日米両国間の「属国・宗主国関係」がこのようなきちんとした文書に基づく法的な取り決めとして厳然としたものであることを知った以上、うかうかしてはいられません。日本人は今後の身の振り方を考える上で、大きな覚悟をせねばならないと思いました。

    日本の政治家の中で、米軍基地についてのしっかりした情報を持っている人間がひとりもいないまま、安保体制が続けられてきたのです。米軍が本当は何人滞在しているのかも、米軍の駐在に関する費用負担が本当はいくらなのかも、米軍基地内にどんな危険物質がどれくらいあるのかも、わからないのです。

    米兵の公務執行妨害や、文書偽造、脅迫、詐欺、恐喝、横領、盗品などについては、不起訴立100%、つまり全く罪に問われることがないのです。凶悪犯罪でさえ、放火(80%)、殺人(75%)、性犯罪では強姦(20%)となると、同じ人間としての法の下の平等がまるで存在していないではありませんか。

    そもそも日本国内にある米軍基地は、私有地の場合、全て日本政府(私たち日本国民)が地主に地代を払って米軍に提供しているのです。さらに過去につくった米軍施設についても、所有権を日本側に譲渡した上で維持管理費や補修費を全て日本に負担させるという裏技を使っているのだそうです。

    米兵が犯した犯罪被害の補償さえも日本政府が国民の税金で肩代わりしているということですし、米軍機の騒音による被害救済も、米側が拒んだために日本側が全額負担しているのです。その金額は、嘉手納(15億4千万円)、横田・厚木(25億2千万円)、総額40億6千万円アメリカに踏み倒されていることがわかっています。外務省は支払い義務を放棄されたまま、何も請求していないのです。この非常識を黙ってやり過ごしているのです。

    前半4分の1をかいつまんで紹介しましたが、取りこぼしたこともたくさんあります。まだお読みでない方、是非目を通してください。いかに日本国民が、大バカを見ているか、主権国家がちゃんちゃらおかしい状態であり、亡国という言葉が、これまでにも増してどれくらい現実味のあるものであるかが、身に染みてわかることでしょう。


    [ 2013年06月29日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    米軍基地にかかるコスト


    「嘉手納基地、評価額(米国外基地資産順位)6年連続1位」と、沖縄タイムス(2013/6/10)が報じています。資産評価額とは、地価を除き、面積や基地内の施設数や単価などを基に算出したものです。

    米国外には40カ国に666の米軍基地があり、国別ではドイツ(232)次いで日本(109)韓国(85)の順となっています。その中で、日本は資産評価額の上位20位内に7つ、上位10位内に5つ入っているのです。

    1位  嘉手納空軍基地  58億700万ドル 
    2位  横須賀海軍基地 48億6700万ドル
    3位  三沢空軍基地   40億6000万ドル
    4位  横田空軍基地   39億9600万ドル
    5位 (ドイツ)
    6位 (キューバ)
    7位 (インド洋英領)
    8位 (グリーンランド)
    9位 (英国)
    10位 キャンプ瑞慶覧    25億3200万ドル

    これはどう見ても異常ですね。日本がいかにアメリカの手下であるかが如実に表れています。

    また、海兵隊の基地に関して言えば、海外にある海兵隊の実質拠点は16カ所でそのうち13カ所が沖縄に集中しているのです。これもまた異常です。

    『観光コースでない沖縄』(高文研)によれば、「嘉手納基地内には、米本国を思わせる庭付きの将校宿舎や安価な製品が満杯のスーパー、映画館、ゴルフ場が2つ、バー、教会、診療所など、至れり尽くせりの施設が揃い、約2万人の軍人、軍属、家族が快適な生活を送っている」とのこと。

    思いやり予算には、日本人基地従業員の賃金、水道光熱費、訓練の移転費用などが加わり、際限なく膨れあがってきた。年間約6500億円前後の米軍駐留経費のうち、毎年約2300億円が思いやり予算である。夏場の米軍家族住宅で、外出ばかりでなく、1、2週間ほどの休暇中も、冷房をつけっぱなしにして沖縄を離れる米軍関係者がいることは、県内では有名な話だ」と、見てきたようなことまで書いてあります。ちょっと信じられない気もしますが、アメリカ人の浪費癖がリアルに伺えます。

    キャンプ瑞慶覧(ずけらん)にも、将校・下士官クラブ、ゲームセンター、映画館、大型スーパーマーケット、体育館、照明の下で夜も使える多目的グランドがあります。思いやり予算で1080戸が新設され、高層マンションやハイスクールも建てられているそうです。

    米国防総省の報告書によれば、2004年度版で、駐留する米兵一人あたりの負担額は、日本(1293万円)、イタリア(341万円)、 韓国(266万円)、ドイツ(265万円)で、日本の突出ぶりが際だつのです。世界一の米軍厚遇が基地機能強化に手を貸し、沖縄への大規模駐留を支えているということを、もっと日本国民は認識する必要があると思います。

    その結果、アメリカが有り難がっているかといえば、日本人は自分で自分を守ることができない、その意志も能力もないから、アメリカが守ってやっているのだ、と日本を侮蔑しているのです。

    憲法を変え、国民の意識を変えなければ、日本の未来はますます暗いと言わざるを得ません。


    [ 2013年06月28日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    沖縄の「かりゆし」が好きだからこそ


    「かりゆし」とは、沖縄方言で「縁起がよいこと」「めでたいこと」「自然との調和」を表す語だそうです。

    琉球独立論」には批判が多く向けられています。けれども中国の人民日報や環球時報が、独立学会の発足に合わせたかのように「琉球独立」を支持する論評を掲載しているのと関連づけて、独立論者を親中派だとするのは、少々穿ちすぎのような気もします。

    琉球独立を唱える人たちが、バルト海のオーランド諸島にあこがれる気持ちもよくわかります。、オーランド諸島には6700以上の群島がありますが、その内の65島に28万人の住民が暮しています。1921年、スウェーデンとフィンランドの間に領有をめぐる紛争が起きたとき、時の国際連盟事務次長の新渡戸稲造氏がこの紛争を、「新渡戸裁定」をもって収めました。非武装中立で、住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語はスウェーデン語でありながら、フィンランドの自治領なのです。その結果地域は大いに活性化し、欧州の中でも選りすぐりの経済的豊かさを享受しているそうです。

    仮に日本と中国の間にあって、言語は日本語だが中国の自治領で、非武装中立の平和を享受できる・・・もし本当にそれが実現するなら、どんなにすばらしいでしょう。

    本土にはない、エメラルドグリーンの美しい海を毎日眺めて暮らせるところ。年中温暖で(夏場の暑さは厳しいでしょうが)冬の寒さにガクガク震えたり凍傷になったり、車が雪でスリップしたりという心配を一生しなくていいのです。着るものも分厚く着込む必要がないので楽です。台風に備えて、建物は丈夫に造らなければなりませんが、そのほかはどうしたって天国に一歩も二歩も近い島だと思います。

    けれどもオークランドと沖縄とでは、地政学上の位置や役割が違います。また、中国人の国民性への理解が必要です。日本だからこそ、復興開発費として何十兆円であれ、どしどしつぎ込んで、基地負担への賠償に努めることができたのです。

    もしも中国の自治領なり領土なりになった日には、現在の沖縄県民は蹴散らされ、政府高官や富裕層の別荘地となるのではと考えるのが自然なような気がします。

    沖縄県民である知人数名に、「琉球独立について考えたことがあるか」「中国領になることについてどう思うか」と尋ねました。誰も、独立は考えておらず、「中国は嫌だ」「中国?こわーい」「中国が取りに来ることはないでしょう、それは有り得ない!」という反応でした。


    [ 2013年06月27日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    中華人民共和国が欲しがらないはずがない


    もしも中国の夢が、アメリカと太平洋を二分することであれば、どんなにか南西諸島を自国の領有としたいことでしょう。南西諸島が、東シナ海の蓋のような形で、また南大東島、沖の大東島、果ては沖ノ鳥島、硫黄島、小笠原諸島、南鳥島が、太平洋への進出を妨げていることは、地図を見れば一目瞭然です。

    これらの太平洋に浮かぶ日本の島々を、未来永劫日本が領有するために、日本人はしっかりと国防の意識を持たなければならないと思います。国防を強めることにまだまだ一致が見出せていないからこそ、「国防軍」の名称に抵抗を示す人々がいるのではないかと心配です。尖閣諸島は 地図上ではほんの点のような存在ですが、ここを守れるか否かが、次の局面に影響するのです。

    テレビドラマで有名になった宮古島に行ってみようかと思いましたが、調べてみると、久高島や伊江島のように、連絡船でちょっと日帰りで行って帰ろうというような甘いものではありませんでした。直線距離にして、沖縄本島から宮古島までは、東京ー名古屋間、あるいは東京ー仙台間、または大阪ー広島間というような距離感になります。沖縄とひと口で言っても、多くの島々を考えたとき、その範囲がいかに広いものであるかがよくわかりました。

    さらに『観光コースでない沖縄』(高文研)には、とても興味深い地図が掲載されていました。種子島の少し太平洋よりの沖に、青森県の下北半島の北端を持ってきて、同じ角度で日本列島の本州部分を置くと、その端っこの山口県下関は、台湾の少し太平洋よりに位置するのです。
    つまり、本州弧とほぼ同じ規模で琉球弧が存在しているということが判明します。島々を侮るなかれ。日本が海洋大国であり続けるためには、島々をないがしろにすることはできません。

    沖縄県内にはいくつかの九条の碑があります。那覇市、読谷村、西原町、石垣市、宮古島市、南風原町の六カ所です。戦争の空しさと、日本国憲法の尊さを発信しているといいます。九条を求める人々の願いに心を合わせたい気持ちは山々ですが、沖縄には、どうしても、国防のための基地が必要だという認識は、沖縄県民にも徹底していただきたいものです。

    しかしながら在沖米軍のやっていることは、日本の国防ではありません。米軍事戦略の拠点です。世界中の国際紛争に関わると同時に、アジアにおけるアメリカの国益を維持、獲得するための基地です。

    普天間返還と辺野古移設、嘉手納基地より南の基地返還、統合が、これから進められていくことでしょう。いえ、「県内移設では解決にほど遠い」と考える人々もまだ大勢いる中では、その見通しさえ立った段階ではないのかもしれませんけど。
    [ 2013年06月27日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    那覇新都心繁栄への道のり


    返還開始から本格的な跡利用の開始まで約23年を要したとされる那覇新都心(別名「おもろまち」)。「おもろまち」という地名は公募により1999年(平成11年)から住居表示施行されたものです。「おもろ」とは歌の意で、沖縄方言の「思い」から来た語だそうです。

    那覇市中心部のほとんどが那覇空港の制限表面区域内にあるため超高層ビルを建てられないのに対し、当地は同空港の制限表面の区域外となっており、写真のような超高層ビルも建てられています。

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    1987年(昭和62年)5月に全面返還された「米軍牧港住宅地区の跡地」を造成した再開発地区です。

    1953年(昭和28年) 米軍による強制収用開始。
    1973年(昭和48年) アメリカ政府と日本政府との間で返還が合意される。
    1975年(昭和50年) 土地の一部が返還される。
    1987年(昭和62年) 全面返還が実現。

    1988年(昭和63年) 那覇新都心土地区画整理事業施行区域の都市計画決定。
    1994年(平成6年)  那覇新都心株式会社が設立。
    1997年(平成9年)  那覇中環状線が開通し、那覇新都心が一般開放(一部のみ)
    1998年(平成10年) 沖縄県立那覇国際高等学校が開校。
    2000年(平成12年) 沖縄振興開発金融公庫が移転
    2002年(平成14年) 沖縄タイムスが移転
    2003年(平成15年) 沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通。おもろまち駅設置。
    2006年(平成18年) NHK沖縄放送局の放送会館が豊見城市より移転。
    2007年(平成19年) 沖縄県立博物館・美術館が開館。
    2007年(平成19年) 日本銀行那覇支店が移転。
    2008年(平成20年) 内閣府沖縄総合事務局の本局が移転。
    2009年(平成21年) 那覇市役所が建て替えのため、上之屋にて仮庁舎へ一時移転。

    このように、二十数年をかけて、じわりじわりと現在の繁栄した姿が実現されたのです。

    第四版『観光コースでない沖縄』共著(2011年 高文研)によると、那覇新都心は「沖縄は基地がないとやっていけない」という見方を覆した象徴的な地域、とされています。

    返還当時の基地関連収入 ・・・・約 51億5千万円
    区画整理後の年平均経済効果・・ 約735億円    (14.3倍)


    昨日取り上げた普天間も、基地なしでうまくやっていけるといいのですが・・・
    それにしても、返還合意から全面返還実現まで14年、それから本格的な跡利用まで23年、という前例から見て、まだまだ前途多難となることでしょう。忍耐強く関心を持ち続けなければなりません。

    しかしながら、いずれにしても、沖縄全土から基地がなくなることは考えられません。もし、そうなる時が来るとすれば、それはすなわち沖縄が日本でなくなる時でしょうし、その時には残念ながら沖縄県民が現在のような自由を持てなくなる可能性が高いことでしょう。

    [ 2013年06月26日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    普天間基地、跡地利用の実現を!


    かの有名な普天間基地を、この目で見た第一声は「あれっこれだけ?」でした。

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    あまり声高には言われていませんが、案内してくれた知人によると、このあたりはもともと民家の少ない地域だったのだそうです。基地ができた途端、どんどん民家や公共施設が建ち並び、「世界一危険な基地」となったようです。なぜ基地の周りに集まってきたかと訊くと、防音のためのサッシや冷暖房への補助金が出ること、基地関係の仕事があることだと答えてくれました。

    民家が密集しているところに、むりやり基地が造られたと勘違いしそうな、マスコミの取り上げ方ですよね。

    それはともかく、辺野古が基地を受け入れる可能性が高まっています。これも埋め立てについて、環境破壊が叫ばれたりしていましたが、新基地建設ではなく、元からある基地への統合なのだそうです。

    普天間基地は480ヘクタール。 キャンプシュワブに移転すれば 160ヘクタール埋め立てるだけでよくなる。 統合して縮小していくということを沖縄の人も本土の人も理解しなければならない」と、【三荻祥】辺野古はなぜ基地を受け入れたか[桜H25/6/14] で説明されていました。

    普天間基地を一望のもとにできる展望台には、既に跡地利用の4つの案がカラフルな絵入りでパネル掲示されていました。

    宜野湾市が描く「基地のない平和な都市」のイメージ
    【伝統的な集落を取り入れた沖縄らしい住宅地】
    【市民の交流の場としてにぎわう広場】
    【普天間の歴史を後世に伝え、まちの個性を演出する松並木の復元】
    【県民の「あしびなー」となる(仮)普天間公園】

    まだまだ時間がかかりそうですが、 「第2小学校では、子どもたちも騒音がうるさいので、移転を願っているのに、闘争のために現状維持が続いている」と聴くと、実現がその子どもたちの子どもの代になるようなことがないように、したいものだと思います。

    [ 2013年06月24日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)

    沖縄の光と闇


    観光と言うよりもむしろ平和を考える旅でした。テーマソングはDIAMANTESの「片手に三線を」です。この曲をバックミュージックにして、美しい海と戯れ(カヌー&スイミング)、いろいろな人々との出会いにワクワクすることができました。

    しかし!!沖縄を語るのは、一筋縄では行きません。実に手に負えない、始末の悪い場所なのです。

    沖縄戦の犠牲は『太陽の子』や『沖縄の手記から』を読んで、知っています。遡れば、二十代の頃、戦跡巡りだけのために沖縄を訪れたこともあります。南の小さな島を弾丸と砲弾の「鉄の暴風」が襲った沖縄戦ーーー本当に想像を絶する凄まじい民間人の犠牲が、この地で捧げられたことを忘れてはならないと思います。

    けれども、「戦後、米軍が住民から土地を奪い、建設した基地群がいまも住宅地の中に存在します。沖縄の受難は続いています。」というような記事には、首をかしげたくなります。真っ向から、反対はできませんが、あまりに一面的なのでは?という抗議の声が聞こえるのです。

    果たして沖縄は、受難の地でしかないのでしょうか。本日戦没者追悼式が行われた糸満市摩文仁の平和祈念公園に最近行かれた方は、おそらくその規模と施設の立派さ、展示の迫力に度肝を抜かれたのではないでしょうか。例えば戦没者の名前が刻まれた平和の礎(いしじ)という刻銘碑があります。1995年に建設されたものですが、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられた約20万人の氏名が刻まれ、合わせて約120基が、海に面した遙か広大な敷地に円弧の形で配置されているのです。

    首里城も、戦後いろいろな調査に基づいて復元されたものです。様々な城跡も、海洋博公園も、これだけの規模のものを造るにはものすごい財力が必要であったことが一目瞭然です。

    産業が少ないという嘆きがあちこちで聞かれるこの土地で、これほどの観光施設が造られるためには、国からの莫大な支援金が投入されたに違いありません。

    また、基地が人々の生活を支えていることも見逃すわけにはいきません。例えば普天間の問題が、ずるずると未解決になっていますが、この東京ドーム約100個分の敷地には、約3000人の地権者がおり、年間の貸借料は、65億2千2百万円、ここに雇用されているのは約200人だそうです。

    普天間基地の規模は、少し小高い展望台から見ると、あれっこれだけ?というくらい全貌が見渡せる程度ですが、アジア最大の大きさを誇る「嘉手納基地」は、肉眼では規模が大きすぎて端から端までは見えません! そこにも何万という地権者がいるのでしょうから、沖縄の人たちの中には、基地様々の人も相当数いるはずです。

    沖縄県民の知人が、本音を漏らしていました。
    「沖縄には、一生遊んでいても暮らしていける人たちと、働けど働けど本当に貧しい人たちがいる。格差が激しい」と。


    [ 2013年06月23日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    一度はめんそーれ


    我が国の風景の一つとして、いつまでも大切にしたいと思います。


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    [ 2013年06月22日 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(-)

    「地球時代」を説く東大名誉教授の不可解


    堀尾輝久氏の講座を拝聴しました。先生は東大法学部政治コースを卒業された後、なぜか大学院時代、教育学部に進路を変更されたようです。1962年~1990年まで28年の長きにわたって東京大学で、また1994年~2003の年9年間は中央大学で教壇に立たれた方とあっては、期待をしないわけにはいきません。万難を排して、市民講座に赴きました。

    お話ぶりは、まさに立て板に水の如しでした。レジュメに沿って適度な解説のふくらみを加えたお話でしたから、後方横の席から会場を見渡すと、多くの聴衆は頷きながら聴いたり、話の途中で共感の拍手が起こったり、という具合でした。ラストは中学生等が作詞した平和を願う歌を、伸びやかな美声!で披露され、締めとされました。中には繰り返しのフレーズに声を合わせる人たちまでいましたので、さぞ気持ちよく講話を終えられたことでしょう。

    とはいうものの、質問コーナーで私が寄せた疑問点(残り20分のところで、休憩時間中に提出したものからピックアップする方式)に対して、敢えて前半のみしか紹介されなかったことは、案の定でした。いえ完全に無視されなかっただけでも、よしとせねばならないでしょう。

    紹介された部分は、「教育の場で、国歌斉唱を強制することは当然ではないでしょうか。国家の存続あっての平和だからです」ここまで。それに対する回答は「この人の意見とは、相容れません。教育には強制はなじまないというのが、私の考えです。これを書いた人は、私の著書を読んでほしい。マニュアルに従わないといけないというのはおかしいのではないでしょうか。このような意見を持つ人とは、丁寧に議論したいと思います」でした。

    紹介されなかった部分は、「子供の人権を尊重することには、やぶさかではありませんが、政治や経済は大人主導の営みであり、生活はそれによって成り立っています。緊迫する国際情勢を無視して、理想論ばかりを唱えていては、足元から崩れていくのではないでしょうか。」という文面です。まあこれは、質問ではありませんから、読みあげるまでもないと思われたのでしょう。

    お話の骨子は演題〔人権としての教育ー地球時代、憲法子どもの権利条約を軸に〕に表れているとおり、徹底した護憲による平和の希求です。

    もう少し詳しく言うとーーー
    自民党の改正案は「改正」ではなく、「新憲法」だ。これは非常に怖いことだ。オバマ大統領も「過度なナショナリズムではないか」と危惧している。改憲というが、これは「普通の国の憲法」ではなくなるものだ。「世界平和を実現するための名誉ある地位」を占めようとする現行憲法の精神そのものを変えようとしている。自衛隊を否定するわけではないが、縮小し、活動を制限することが必要だ。
    ーーー子供の人権思想の流れにも時間を割かれましたが、それには異論の余地がありませんので省略します。

    先生は終戦の年、1945年に小学校を卒業されています。ちょうど戦中から戦後に至る境目の頃に多感な時期を過ごされたことが、その後の思想形成に大きく影響しているのかもしれません。

    「子どもたちは平和の文化の中で育ち、その学びは地球時代を拓く力となる、それを励ますのが私たちの責任だと思います」この理想は尊いと思います。けれど、「今、憲法が改憲の動きの中で悲鳴をあげています」という考え方は、輝かしい経歴にそぐわないような気がしてなりませんでした。

    ウィキペディアによれば、60冊にも及ぶ著書をお持ちのようです。何千人もの教え子を世に送り出されたことでしょう。しかもトップエリートとされる人々を・・・

    しかしながら、戦後レジームからの脱却に対する批判、非武装中立の理想、日本の軍縮への提言、教育に強制はなじまないとする「君が代」への姿勢、など様々な不可解が残りました。皆さんはどう思われますか?

    [ 2013年06月22日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    ニューヨーク・タイムズ記者との会話


    夜の嘉手納基地で偶然出会った西洋人男性、日本人女性のカップルと、思わぬ長話になり、お仕事を尋ねたところ、ニューヨーク・タイムズの記者とビューローマネージャーでした。

    その立場を知った上で、話の内容をふり返ると、特に男性の言葉に関して言えば、沖縄の守備については共通認識もありましたが、太平洋戦争や日米関係については、認識の落差に、改めて驚きを禁じ得ませんでした。

    「疲れますよね、人の国のことを考えないといけないのは・・・日本が自分の国を自分で守れるようになってほしい。そうすればアメリカは自国へ帰ることができる」彼のこの発言には賛同できました。

    アメリカはゆくゆく東アジアにまで手が回らなくなります。これまでは世界各国に手を広げてきたけれど、今後は、軍備を縮小し、自国の福祉に力を入れなければなりません。

    「アメリカは多民族国家だから、競争社会で常に鍛えられている」という言葉は、逆を言えば日本人の甘さを指摘したものとも捉えられます。

    「真珠湾攻撃までは、アメリカは内向きだったのに、日本からの攻撃を機にアメリカは軍備を増強することとなった」という発言に対しては、真珠湾攻撃は、アメリカによって仕組まれたものでは?とこちらから疑問を呈しました。すると・・・

    「日本が東アジアや東南アジアを侵略したから、アメリカは石油の封じ込めをした」「アメリカは当時十分な情報を持っていたわけではない。軍事大国はイギリスやドイツ。アメリカは海軍は強かったが、陸、空軍はさほどでなかった」「真珠湾攻撃によって日本がアメリカを軍事超大国にした。それまでは一流戦闘機すらなかった」

    「アメリカが空白を残したら世界が不安定になって、また戦争が起きる。第二次大戦後、まだ世界大戦が起こっていないのは、アメリカが世界の警察の役割を果たしてきたからだ」というような信念とも思える自説が続きました。

    「安倍首相のことをオバマは何とも思っていない。誰が日本の首相になるかということなど、大して問題にしていない。そんな暇はない」に至っては、 日本軽視を口にすることに何の遠慮もないことがありありと伝わり、米国国家情報会議「グローバル・トレンド2030:未来の姿」(2012年12月版)において、日本は歯牙にもかけられていないこととぴったり重なりました。

    「沖縄に米軍がいなくなったら、中国が攻めてくることは、当然だと思う。第一列島線の確保に踏み出すに違いない」という意見は、実にごもっともです。

    アメリカの情報筋のエリートですら、このような日本に対する歴史認識、日本という国の存在に対する徹底した軽視、沖縄および日本の未来に対する冷ややかな視線を、当たり前のように口にするのです。

    戦後、自国を守ることに関する必要最低の努力を怠ってきた日本。その付けは紛れもなくやって来る、と予言されたような気持ちになりました。でも、実は日本にそのような態勢を強いたのは、アメリカなのです。

    「日本の核武装について」「オリバー・ストーンの歴史認識について」質問したかったのですが、すっかり遅くなってしまったため、お互いにお話しできてよかったと言い合って、お別れしたのでした。


    [ 2013年06月16日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    夜の嘉手納基地へ


    沖縄でニューヨーク・タイムズの記者と話すことができました。それも夜の嘉手納基地でかれこれ1時間近く!?も話し込むことになろうとは・・・

    前日の夜、空が暗く闇に包まれるころ、ホテル日航アリビラから嘉手納の方向を眺めると、この方向だけが異常に明るいのです。夜中になってもこんなに明るければ、周囲はさぞ迷惑だろう。もしも訓練が真夜中まで続いているのなら、騒音がさぞ煩わしいだろう。これは何が何でも確かめなくてはと、次の日の夜、食事を兼ねて読谷の街に出かけました。

    ホテルの周りはサトウキビ畑が続いて、いかにも「村」という感じなのですが、大きな通りに出ればあるわあるわ、食堂、飲み屋が連なっています。海鮮レストランで食事を済ませ、一路嘉手納基地へ。

    「道の駅かでな」では、昼間は3階学習展示室で、嘉手納の歴史や、基地の現状を知ることができます。また、屋上からは極東最大の米軍飛行場のある広大な基地が眺望できるようになっています。飛行機、戦闘機、ヘリコプターが次々と離着陸する様を、ビデオを拡大にすれば間近で見ることができるのです。

    夜の嘉手納基地の迷惑度はいかに?と少し意気込んで行ったものの、実際は、多少照明が気になるかなという程度で、ごく稀に、ゴーという着陸音がしたものの、あとは静かでした。

    数人の見学者がいる中で、長身の西洋人男性と、すらりとした日本人女性のカップルが目に止まりました。「夜はあまり飛ばないんですね。」というようなことから会話が始まり、日米中の関係、沖縄の守備について、延々と話が弾みました。

    彼に職業を聞くと「ニューヨーク・タイムズの記者です」と返事。(日本語は堪能)名刺をお願いしたところ、彼女がくれたものを見ると、確かに彼女の名刺には、そのビューローマネージャーであることが明記されていました。こちらが名刺を持参していなかったので、それ以上は要求しそびれたのですが、まず間違いはなさそうです。

    話の内容については、かなり長くなるので後日に譲りたいと思います。ともかく、ホテルから見た異常な空の明るさは、読谷の繁華街の明かりだったようです。嘉手納基地で、非常識な夜間訓練がされているということではありませんでした。

    因みに、その夜食事をした海鮮レストランのオーナーは、若いころ自衛官だったそうです。彼からも名刺をもらいました。(店先に置いてありました。)


    [ 2013年06月14日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    オバマ大統領から「実のある謝罪」を


    日本人は、甚大な被害をもたらした相手の非を咎め、徹底的に損害賠償を要求することがありません。にもかかわらず、必要以上に他から謝罪と賠償を要求され、それに必要以上に応じ、さらに必要以上に延々と償いの完了を先延ばしされています。

    “ベトナム戦争~運命の暗転~”テレビ番組「オリバー・ストーン が語るもうひとつのアメリカ史」を見ました。ジョンソンやニクソンが、アジア人に対して、つゆほども人権を認めていなかったことは明白です。インドネシアやベトナムで行った侵略と虐待に対して、どうしてアメリカからの謝罪と賠償がなされないまま、時代は先へ先へと流れて行くのでしょう。

    ベトナム和平協定で、アメリカは賠償金の支払いを約束したが、履行しなかった。」これが淡々とアナウンスされました。「あ、そう」で済むことですか?アメリカは全世界から糾弾されるべきです。

    いつまでも覇者と思うな勘違い!!「残酷な支配者の哲学」が今後、まかり通るはずがないことを教示すべきだと思います。

    責任を感じるどころか、美辞麗句で自己正当化するのを、黙って見逃していいはずがありません。この番組は、おそらく全世界で見られているはずです。アメリカのトップたちも例外ではないでしょう。オバマは、ヒロシマ・ナガサキを訪問し、慰霊碑に頭を垂れる義務があります。さもなくばノーベル平和賞を返上してください。

    謝罪を!まではヒロシマ・ナガサキの人々をはじめ党派を超えた人々とも連携できそうですが、敢えてもう一つ強力な提言をさせていただきます。それは、アメリカがリードして、全世界からの核廃絶を、オバマ氏の最大の使命として、断固遂行する。
    それができないのならば、アメリカから日本への「核兵器の譲渡」または、日本が核保有することへの承認をするように。
    そこまでできて初めて、真の謝罪といえるでしょう。


    最後に東条英機氏の手記とされる文章をご紹介いたします。
    (出典が定かでないのは残念ですが、内容がすばらしいので)

    東条英機 処刑前の手記    《英米諸国人に告げる》

    今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
    この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。

    しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。
    私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。

    しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。

    我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。

    いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

    もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

    諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。


    [ 2013年06月06日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    チベットに自由を!アジア・アフリカに連帯を!


    焼身抗議をしている若者たちは、決して何か特別の思想や過激な信仰を持っている人でも、もちろん精神を病んでいるわけでもなくて、あくまで普通の皆さんと同じ人間が、今の現状にやむにやまれぬ思いで行動している。このことの意味をぜひ深く受け止めてほしいーーーテトン氏はこう述べました。
    (4月14日東京において開催された、チベット亡命政府の元主席大臣、テンジン・テトン氏の講演会より)

    ダライラマ法王が、本来の姿で、チベットのリーダーとして戻ってほしいと、今、自らの命を絶って訴えている人たちがいるのです。それもほとんど20代とか、若い方が多い。
    この人たちは決して絶望しているからやっているのではなく、自分が未来に向けて一石を投じることによって、必ず未来が切り開かれるという希望を持っているーーーといわれると、なお辛くなります。

    アジアにおいては未だに、安全保障の面でも、政治体制においても、経済システムにおいても、不安定な状況にある。平和的な安定や民主的なシステム、法治のシステムは実現していない。その中で、このようなアジアの自由と民主化を求める集会や活動が定期的に持続していることの意義は大きい。ーーー

    必ずや、この講演会を実りあるものにしたいと思いました。生きながらにして炎に焼かれた若者たちの死を無にしてはなりません。これ以上犠牲者を増やしてはなりません。



    1955年インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開かれました。
    これは初の非白人国家だけによる国際会議とされるもので、インドのネルー首相、インドネシア大統領スカルノ、中華人民共和国首相周恩来、エジプト大統領ナセルが中心となって開催を目指し、29カ国が参加しました。

    そこでは「基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重」「全ての国の主権と領土保全を尊重」「全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する」など10の《世界平和と協力の推進に関する宣言》がなされました。

    日本政府は、アメリカへの気兼ねもあり、反日感情への警戒もあり、参加を躊躇していましたが、参加が実現しました。
    その時の模様を、外務大臣代理で出席した加瀬俊一(としかず)外務相参与(後に国連大使となる)が次のように語っています。

    「出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。」
    (ウィキペディア参照)

    今、日本では、村山談話と河野談話を引き継ぐか、見直すか、で議論が続いていますが、上記の加瀬氏の感動は、どこに雲散霧消してしまったのでしょうか。

    日本がアジア・アフリカにおけるかつてのリーダーシップを取り戻し、人道支援を強力に行える立場になることを切望します。

    [ 2013年06月05日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    国のトップは命懸け


    今、この世界があるのは、ケネディフルシチョフの勇敢な決断のおかげだったのです。もう一人、 ヴァシリー・アルヒーポフ(ソ連海軍将校)にも、国境を越えて皆で感謝せねばなりません。

    もし、キューバ危機の場面で、フルシチョフからケネディーに「いったん戦争が始まれば我々の手には負えなくなる」という親書が送られず、どちらかが先制攻撃を仕掛けたとしたら・・・

    もし、ソ連海軍の潜水艦長が、モスクワとの通信が途絶えたことで「米ソの核戦争が勃発 した」と考え、核魚雷の発射を命じた際に、副艦長ヴァシリー・アルヒーポフ中佐(当時)が反対することなく、発射してしまっていたら・・・

    何千何万発を使っての核戦争の結末は、火を見るよりも明らかです。


    “JFケネディ~全面核戦争の瀬戸際~”テレビ番組「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」を見ました。


    核武装について、いろいろな方々のご意見を取り入れながら考えてきましたが、今日のこの番組によって、もう一度「核」を保有国、非保有国ともに、皆で考え直さなければならないと強く思いました。。


    かつて米ソ冷戦構造の中で核軍拡競争をしているとき、ケネディーの信条は「強くあれ、弱みや甘さは身を滅ぼす」だったといいます。
    強硬派の考えは、「最後にアメリカ人2人、ソ連人1人生き残ったら、こっちの勝ち」という驚き呆れるしかない幼稚なものでした。
    その程度の認識で、核兵器の量産に励んだのか、そんな勝ち方をして何になるのか、
    と思わずにはいられませんでした。

    核シェルターを造るようにという呼びかけに応えた人は、僅かしかいなかったことも知りました。地下にも住居空間を造らねばならない?何をどれだけ備蓄すればいいというのか?そうまでして生き延びることに執着し、誰が助かるかで戦々恐々としなければならないことに、人々は無気力になってしまったといいます。  

    何かわかる気がしました。そうまでしなければ生き残れないならば、また、生き残った後にどのような荒涼とした世界が待っているのかを想像したとき、いっそ地球なんて滅亡してしまえという気持ちになります。

    事態が最高に緊迫した場で、両国首脳は、戦争に突入するのか、何としてでも食い止めるのかという決断を下さねばならなくなります。フルシチョフの親書に応じ、ケネディは、弟のロバートをソ連に送りました。

    その結果、キューバからソ連の核兵器が撤去されたのです。ケネディフルシチョフも国内の非難を甘んじて受け、部分的核実験禁止条約締結にまで至ったのです。

    ケネディーは、自国民に演説で理解を求めます。
    歴史に残る大演説だとも思う反面、ここでもまた、驚くべき認識が示されたのでした。

    「我々が望むのは、軍備を盾に強要する、パックス・アメリカーナではない。」
    これを明言したのは、すばらしい。さすがカトリック(普遍)!!

    しかしながら、
    「ソ連の人々を生身の人間としてとらえるべきだ。」
    という言葉は、聞き捨てなりません。

    結局、核兵器の存在自体、人間を生身の人間としてすらとらえていない「殺人兵器以上のもの」であり、非人道的どころではない「世界残酷物語の究極の集大成」であるということが、この、ある意味当たり前の言葉の中に、しっかりと込められているのです。

    やはり、廃絶しかない!!!「力の均衡」などという美名に値しない!!!

    各全面戦争の瀬戸際という極限の場において、ケネディーは子供や孫たちの未来を考え、「千里の道も一歩からです。最初の一歩を踏み出そうではありませんか。」と世界の人々に訴えたのです。


    国のトップは命懸けの仕事です。ケネディーは46歳で散りました。もしも大統領などにならなければ、暗殺されることはなかったでしょう。長生きしてアメリカをもっとよい国にしていたかもしれません。

    いえ、それはおそらく違います。もしも彼が大統領になっていなかったら、今、この世界がなかったはずなのですから。


    [ 2013年06月05日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    アイゼンハワーもユダヤ系?


    ーーー「人を殺すのは間違っている」的論法で解決できる世界に、彼らは生きていない。彼らは、迫害と虐殺の被害者であり、同時に、加害者でもあるのだ。ーーー

    ユダヤ人に関する説明の一部を、インターネット上の「地球歴史館~迫害される理由~」から引用しました。

    ルーズベルト(従来通りの読みにします)が、ユダヤ系(オランダ人)であるということは以前から知っていました。本日“アイゼンハワー核兵器”というタイトルのBS1のテレビ番組「オリバーストーンが語るもうひとつのアメリカ史」を見ましたので、ウィキペディアで調べてみると・・・「アイゼンハワー家はスウェーデン人で、父はユダヤ系であるという説が濃厚」とありました。

    アイゼンハワーもユダヤ系?出典もないのに、鵜呑みにしていいのかどうかは分かりませんが、何らかの根拠があるのでしょう。アメリカを動かしてきた力を、単純には理解できないことを再確認したのでした。

    番組では詳細な史実に基づいて、アメリカの歴史を、一言で言えばエゴの塊が徐々に我が身を破滅に導く様を、描いています。今回最もわかりやすく印象的だったアナウンスは、
    アイゼンハワーは、共産主義と戦うというより、資源を求めるために、貧しい国と戦っていたようなもの」
    という一節です。

    また、最もショックだったのは、
    「アジア・アフリカ会議は成功したと見なされたが、後にそれらの指導者の多くがアメリカによって殺されることとなった」
    という内容です。

    アイゼンハワーの最後の演説は、彼の失敗を公言したものだったということで、例えば「軍産の複合体は廃止すべき」という言葉を紹介しながら、大規模な工場でものすごく大勢の工員たちが(老若男女)武器や核兵器の製造に携わっている様子がリアルに映し出されました。彼の在任中に、それまで千個であった核兵器が、2万2千個にまで膨れあがったのです。実に350万人が、軍需産業に動員されたといいます。

    狂ったように武力の増強に勢力を傾けた結果、多くの戦争を招き、外国の政府を転覆させると同時に、自国も疲弊していったのです。

    核兵器の使用を脅しとして何度も口にしたにもかかわらず、それが戦争においては実行されなかったのが、せめてもの救いです。いえ、ダム、運河の開発工事などでは使用していたし、実験による被害を考えると、世界の犠牲は大きかったのです。

    万国万人の共生共存は、前途多難です。

    ーーーいつ終わるともしれないこの戦いは、すでに3000年の歴史を刻んでいる。この歴史の底流には、個体を超えた民族遺伝子が潜んでいる。ーーー
    冒頭のユダヤ人に関する説明は、こう続いています。

    平和な世界を築くには、一民族に限らず、人類の遺伝子レベルでの「チェンジ」が、必要になるのでしょうか。



    [ 2013年06月04日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    東アジア情勢の行方、日本の核武装


    「安倍首相を支持するということは、戦後失われたものを取り戻す苦しい闘いをやっていくことだ」という上島嘉郎氏の言葉が、まず強く胸に響きました。

    【討論!】米中アジア管理か?東アジア情勢の行方[桜H25/6/1] という3時間の討論を聴きました。参加者は次の方々です。(敬称略)

    水島総     日本文化チャンネル桜代表         
    田中英道   東北大学名誉教授             
    田村秀男    産経新聞社特別記者・編集委員兼論説委員  
    馬渕睦夫    元駐ウクライナ大使 
    伊藤貫     国際政治アナリスト            
    上島嘉郎    別冊『正論』編集長            
    上念司     経済評論家                
    渡邉哲也    経済評論家


    アベノミクスの成否、歴史認識、外交手腕をめぐってかしましい議論が続きますが、安倍首相は就任以来3日しか休日をとっておられないと聞き、ご無理がないようにと案じています。 

    そうなんです。これまでアメリカからの要望に応えることに追われていた経済政策を、日本独自で打ち出したことの意義が非常に大きいのです。中国も韓国もあおりを受けているのですから、抵抗があって当然です。株価の急落も何らかの意図的な操作も考えられます。いちいち一喜一憂しても仕方がないのです。

    歴史認識もあれだけ長年東京裁判史観で押さえ込まれて、戦後秩序を強制されてきたのですから、数ヶ月で転換できるはずがないのです。第一国内のメディアからして、じっくり飼い慣らされてしまっているのですから。

    中国包囲網かどうかは分かりませんが、「自由と繁栄の弧」という価値観外交を自らの意志とプランで意欲的に進めておられることも大きな前進でしょう。『自主防衛を急げ』で日下公人氏も推奨されていた考え方です。TPPを排除する道もあったかもしれませんが、将来的には中国もTPP参加を希望する可能性が出てきたようで、こうなったら何がどうなっていくのか、興味津々で見守るしかないでしょう。場合によっては、はっきり注文を出したり、きっぱり断ったりという場面を期待しながらですが。


    世界の見方、歴史の見方を、これからまだまだ学び続けなければならないと、この討論を通じて改めて感じました。実は約1年前、「9.11アメリカ陰謀論」および「3.11人工地震説」を初めて知ったとき、「日露戦争とロシア革命の舞台裏にユダヤあり」を知った数年前と同じようなものすごい衝撃を覚えました。

    「真の覇者はユダヤ人なのか」という疑問を抱きつつ、世界各地で起こる自然災害を前に、やはり人間の力には限界があることは認めざるを得ず、すべてを把握できるはずがない、深く考えないでおこうと思いました。それにしても、何にせよ一枚岩ではないこと、常識では計り知れない世界がこの世に存在することに、畏れと無力感に打ちのめされたことは確かです。

    この討論中では、馬渕睦夫氏が特にユダヤ勢力について明言されていました。
    「アメリカ国家とグローバリストは別。アメリカ外交の中心にいるのはユダヤ人。
    彼らの狙いはアメリカ国家の解体と、世界支配。その証拠に、ツインタワーの後に建ったのは、〈ワンワールドトレードセンター〉だ。グローバリストと称される金融資本家は世界制覇のために、アメリカを使っている。」
    冷静沈着なお話ぶりの中にも、やや熱を帯びた調子が印象的でした。


    最後に伊藤貫氏からの、「日本を独立させるためには、自主的な核抑止力を持つ必要がある」という提案がありました。それに対して、「既に材料も技術も揃っている。燃料濃縮もできる。あとは、核実験をやるだけだが、日米原子力協定とIAEAの24時間監視の下それはできない」と議論が進み、伊藤氏が「核シェアリングとか共同管理とかいうのは結局アメリカの思いのままだから、自主防衛にならない」という強い意見がありました。

    こうして核武装論議のタブーが破られましたが、まだまだ現実は厳しい、目標をしっかり持って一歩一歩進めていくしかない、という共通認識で結びとなりました。

    一生かかっても、たどり着けない遙かな道のりだと感じました。お話の中でも、日本が真の独立を果たすまでには50年も100年もかかるだろう、という言葉もありました。諦めずに、自分にできることをやるしかありません。できるだけいろいろな場で、対話の輪を広げようと思います。 

       
    [ 2013年06月02日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(0)

    若者に日本人としての自尊心があるか?


    白洲次郎は、親米保守派の日本人を「パンパン(米兵相手の売春婦)とどこが違うか」と批判したそうですが、結局戦前と戦後の最大の違いは、日本人が根っから誇りを失ってしまったことではないかと思います。

    本日TVや新聞で、次のようなニュースが報じられました。
    小野寺防衛相>「日本右傾化は誤解」 アジア安全保障会議

    小野寺防衛相は橋下市長の発言について「日本の過去の歴史に関し、不適切な発言を繰り返し、周辺国の誤解と不信を招いた」と正面から批判。「安倍内閣はアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するという歴代内閣と同じ立場を引き継いでいる」と改めて強調した。

     歴史認識を巡り「日本が右傾化している」との見方が広がれば、米国との協調など日本の安全保障環境にも悪影響が出るとの認識から、小野寺防衛相は各国防衛担当者が顔をそろえた場で、明快な反論を試みたとみられる。

    ーーー毎日新聞 6月1日(土)より引用

    いかにも「小野寺、よくやった」という書きぶりですが、どうも共感して頭をなでる気にはなれません。

    最近読んだ文章「政治のリーダーシップと日本精神」(李登輝)のなかに、次のような一節がありました。

    「私は、次代の台湾は、台湾人としてのアイデンティティに目覚めた若者たちが担っていくだろうと期待しています。私が総督であった時代に、教育を受けた人たちで、大陸中心の中国式の教育を脱して、『認識台湾』という教科書で台湾の歴史を学び、台湾はどうあるべきか、台湾人とは何か、など台湾のアイデンティティを考えてきた世代です。」

    さて、日本において、現在そのような教育がなされているでしょうか。若者たちが自信と誇りを持って、母国の将来を担おうという気概を持つことができるような教育が・・・。そのための教科書が作られているでしょうか。

    敗戦国日本は、アメリカによる支配下に置かれてきました。それは、明らかな意図
    「対日支配政策」によるものです。その3点セットとして、伊藤貫氏は、
    ①憲法9条  ②東京裁判史観  ③日米安保条約
    を取り上げています。

    キッシンジャーは、「長期間、コラボレーショニスト(祖国を裏切る者)体制を続ける敗戦国には、必ず二つの問題が生じる」と指摘しています。
    ①国家が正当性を失う ②国民が気概(士気、競争心)を失うーーというのです。

    常に他国の顔色を伺って、ビクビク、ぺこぺこ、する属国。自力で自国を守ることもできず、70年も前の不確定な罪状を理由に明らかな損害を甘受し続けている日本。汗水垂らして稼いだお金を、どんどん他国に吸い上げられ、そのうえ喜んでばらまき、ほとんどの国民は優雅な生活からはほど遠い、奴隷ともいえる冷遇を余儀なくされている。そんな国のことを、どうして若者たちが本気で考えるでしょうか。自分を犠牲にしてまで、国のために何かをしようとするでしょうか。

    老年期を迎えておられる方々、熟年期を乗り切りつつある方々、若者たちが胸を張って生きていける日本の姿を、本気で考えようではありませんか。


    [ 2013年06月02日 ] カテゴリ:政治外交 | TB(0) | CM(-)
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